2012.06.01
O・S(29歳) 会社員
躁鬱病になってから、心の中が寒々しく、自分の冷たさに凍えそうになっておりました。
他人との間に透明の壁があり、自分に自信がなくなり、自分の価値基準で判断もつかない状態でした。
そういう自分を変えたくて、以前知り合いに教えていただいた「内観」に伺いました。
内観すると「あ、そうか」の連続でした。
母を通して、何時も自分から何かを他人のためにしたことがないことに気づき、それが「愛」の欠如と知りました。
愛がないから寒かったのか!と納得しました。
父を通しては、大好きなのに側に居てくれない自由な父は自分とそっくりなことに気づきました。
私は自分は棚上げで、自分の理想を押しつけていたのです。
そして父を許すことが愛なのだと思いました。
愛を教えてくれた母、愛を自分に取り戻す機会をくれた父に感謝します。
そうしている内に、いつの間にか自分のためでなく、「バラバラになってしまった家族それぞれを幸せにしたい!力をください」という一心で内観しておりました。
一番驚いたのは、大好きで仲の良い兄に対して見下した気持ちがあったことでした。
申し訳なくて泣いていると、仏様がよしよしと頭をなでてくれているような気になりました。
意外だったのは、躁鬱病のきっかけになったSくんとの出来事が全て楽しい内観で終わり、一方結婚するかで悩んでいたAくんとの内観が怒りで満ちあふれていたことです。
自分の中にこんな恨みが埋まっていたのか!これが「怨念だ!」と思いました。
これが続くと、光源氏に出てくる六条御息所になると思いました。
怒っている人は、本当は傷つき、許したいのに自分ではどうしようもなく、許すきっかけを欲しがっているのですね。
人生一つ一つに無駄がなく、全て私に教えてくれていました。
嬉しかったのは、世界の愛の化身が母で、それは私そして次へと繋がっていくと感じたことです。
母が愛を持って子を叩くように、人生での困難は世界が愛を持って叩いてくれているのだと感じました。
愛は何時もそこにあって、忍耐強く報いを求めず、やはりそこにあり見守っている。
私には愛があるので、もう怖くありません。
本当に有難うございました。
躁鬱病になってから、心の中が寒々しく、自分の冷たさに凍えそうになっておりました。
他人との間に透明の壁があり、自分に自信がなくなり、自分の価値基準で判断もつかない状態でした。
そういう自分を変えたくて、以前知り合いに教えていただいた「内観」に伺いました。
内観すると「あ、そうか」の連続でした。
母を通して、何時も自分から何かを他人のためにしたことがないことに気づき、それが「愛」の欠如と知りました。
愛がないから寒かったのか!と納得しました。
父を通しては、大好きなのに側に居てくれない自由な父は自分とそっくりなことに気づきました。
私は自分は棚上げで、自分の理想を押しつけていたのです。
そして父を許すことが愛なのだと思いました。
愛を教えてくれた母、愛を自分に取り戻す機会をくれた父に感謝します。
そうしている内に、いつの間にか自分のためでなく、「バラバラになってしまった家族それぞれを幸せにしたい!力をください」という一心で内観しておりました。
一番驚いたのは、大好きで仲の良い兄に対して見下した気持ちがあったことでした。
申し訳なくて泣いていると、仏様がよしよしと頭をなでてくれているような気になりました。
意外だったのは、躁鬱病のきっかけになったSくんとの出来事が全て楽しい内観で終わり、一方結婚するかで悩んでいたAくんとの内観が怒りで満ちあふれていたことです。
自分の中にこんな恨みが埋まっていたのか!これが「怨念だ!」と思いました。
これが続くと、光源氏に出てくる六条御息所になると思いました。
怒っている人は、本当は傷つき、許したいのに自分ではどうしようもなく、許すきっかけを欲しがっているのですね。
人生一つ一つに無駄がなく、全て私に教えてくれていました。
嬉しかったのは、世界の愛の化身が母で、それは私そして次へと繋がっていくと感じたことです。
母が愛を持って子を叩くように、人生での困難は世界が愛を持って叩いてくれているのだと感じました。
愛は何時もそこにあって、忍耐強く報いを求めず、やはりそこにあり見守っている。
私には愛があるので、もう怖くありません。
本当に有難うございました。
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